メジャーでの圧倒的なパフォーマンスで日本球界とマスコミを黙らせた野茂英雄の矜恃――ドラ1、8競合とメジャー移籍

今では有名な話になったけれど、現エンゼルス大谷の高校1年生時に書いた“目標達成シート”の真ん中には、“ドラ1 8球団指名”と書かれている。これは、1989年に野茂が記録したドラフト会議での1位指名最多競合を意識してものだと想像に難くない。

野茂を獲得した近鉄の外れ1位では大洋の佐々木主浩が日米通算381セーブをマークして大魔神の異名を取り、同様にメジャーでもプレーしたロッテの小宮山悟はプロ通算117勝をあげている。ヤクルトの西村龍次と阪神の葛西稔も主力投手として長く活躍した。

競合がなかった広島の佐々岡真司はプロ通算138勝をあげ、中日の与田剛と西武の塩崎哲也も主にリリーフとして活躍している。このように人気が分散してもおかしくない新人豊作の年にしてなお、8球団が野茂を1位指名したのだから驚きである。

この年のドラフトでは1位以外でも2,000本安打を達成した古田敦也がヤクルトの2位で、前田智徳が広島4位でプロ入りしている。メジャーでもプレーした新庄剛志は阪神5位、プロ通算162本塁打の石井浩郎は近鉄に3位で入団しているのだ。最も豊作だったドラフトといわれるのも納得の顔ぶれだろう。

これだけのメンバーが揃っていたにも関わらず8球団が競合しただけあり、野茂は新人でありながら、最多勝利と最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手四冠を独占。更に、新人王や沢村賞、ベストナインの他、なんとMVPにも輝き、様々な賞を総ナメにした。

その新人年から1993年までの4年間は、4年連続で最多勝と最多奪三振のタイトルを同時に獲得しており、日本を代表するようなピッチャーとして君臨していたといえるだろう。ところが、翌1994年は右肩痛で戦線を途中離脱したため、8勝126三振しか奪えず、最多勝と最多奪三振のタイトルの同時獲得も途絶え、なおかつ野茂と監督や球団との確執も取り沙汰されるようになっていった。

奇しくも、大谷は、この1994年の生まれである。野茂がオフの契約更改で球団とモメていたことやシーズン中には鈴木啓示監督とソリが合わなかったことなど、大谷はもちろん知る由もないだろうが…。

ところが、筆丸も含めた一般市民は、 これらの情報について マスコミを通じてしか知り得ることができなかったのが事実。そのマスコミが、球団側に有利な記事を掲載したため、筆丸他一般市民はその記事を信じてしまい、球団やマスコミに先導される形で“野茂が悪い”という風潮に染まっていったのである。

だから、野茂がメジャーに挑戦する時は、“裏切り者”“自分勝手”“どうせダメだろう”などと、散々な言われようだったのだ。なんだか、逃げるように、追い出されるように海を渡って行ったイメージが筆丸には残っている。

しかし野茂は、そんな批判も低評価も実力で覆して魅せてくれたメジャーでも新人王や最多奪三振、ノーヒットノーランも2回記録し、アメリカでは“NOMOマニア”と言われる熱狂的なファンが増え、日本のマスコミも掌を返すように野茂を大絶賛しだした。日本でも“野茂フィーバー”が起こり、こぞってBSのメジャーリーグ中継に魅入ったのである。

そう考えると、野茂自身の規格サイズが日本というチッポケな島国では収まりきらなかったのだろう。 野茂の溢れる才能は、正に、メジャーに行くべくして行ったと言えるのだ。 今年、メジャーで二刀流復活が期待される大谷にも、野茂を超えるような活躍を見せてほしいものである。

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